治水神社

○ 美濃 海津町 治水神社

 

治水神社の碑

 

治水神社

 

薩摩義士の像

 


木曾三川公園内

水屋(洪水に備えて石垣を高くして建てられた)

 

上げ舟(洪水に備えた)

 

堀り抜き井戸

 


 

宝暦治水の碑

 

油島千本松締切堤の碑

 

平田靱負

 

治水神社。平田靱負を祭神とし、工事の犠牲となった八十名の薩摩義士も治水観音堂に祭られている。
宝暦治水。天下太平の江戸中期、徳川幕府と薩摩藩の間に知られざる戦いがあった。宝暦四年(1754)正月、突如薩摩に下された濃尾平野の大治水工事命令。薩摩藩士たちの多くが幕府への抗議を主張する中、薩摩藩家老・平田靱負(ひらた・ゆきえ)はあえてこの難事業を引き受ける。現場に赴いた藩士たちを待っていたのは過酷な労働環境、そして横暴な幕府の監督官たち。病気や事故、幕府に対する抗議の切腹で、八十名以上の薩摩藩士たちが犠牲になる。一年半にわたる苦闘のすえ工事は完成するが、その直後、家老・平田は武士として最後の決断を下した。
木曾三川公園から歩いてすぐ近くなので、立ち寄って義士たちを弔いたいところですね。    sune-ku☆

 


 

 

高須城

西高木家陣屋

 

 

 

 

 

 

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