○ 三河 豊田市 大桑城 址
上り口
土橋
本丸から左・虎口(土橋)、右・土塁
主郭址
主郭から腰曲輪に少し低く張り出した小さな曲輪
大桑城。戦国期中世の山城。川合弥十郎の城と伝わる。天文十九年(1550)今川義元に従わない者の中に弥十郎の名がある。永禄八年(1565)徳川家康が大沼、田代進出の折、弥十郎を引き付けて帰陣したとある。その後の武田軍侵入の時、城は落城したと推測される。 |
馬出??と思える位、小さな本丸のみの城ですが、小領主の城としては十分。腰曲輪を備え、同じ高さで途中、背後で空堀となり、土橋(行止り)となります。土橋、土塁で固め、多分、崖側には馬防柵があったと思います。土橋が良かったです♪三河湖には良く釣りに来てましたが、知らなかった・・・ sune-ku☆ |