豊太閤花見塚

○ 大和 吉野町 豊太閤花見塚 址

 

豊太閤花見塚の碑

 

豊太閤花見塚。吉野での花見といえば、豊太閤秀吉が、文禄三年(1594)二月二十七日、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴い、総勢五千人の供ぞろえで吉野山を訪れた。しかし、この年の吉野は長雨で、秀吉が吉野山に入ってから三日間雨が降り続いた。本陣となった吉水院で、しばらくは茶の会、能の会を楽しんだが、秀吉は、同行していた聖護院の僧道澄に「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と伝えると、道澄はあわてて、吉野全山の僧たちに晴天祈願を命じた。その甲斐あってか、翌日には晴天となり、盛大に豪華絢爛な花見が催され、このあたりまで足をはこんだと伝わる。
ぐるりとまわった別尾根の先にありました。ご 五千人ですか・・・    sune-ku☆

 

 

 

 

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